昭和30年代には、農家で田植えや稲刈りなどの農繁期になると、家族や親戚、近所の人たちみんなでいっせいに農作業を行いました。家の仕事を手伝うために、農家の子どもは学校が休みになったものです。それほど忙しい時期でした。

 学園にも田畑があって、子どもたちは実によく働きました。子どもや施設に対する地域の理解はまだまだ不十分でしたが、真っ先によき理解者となったのは、隣の田んぼで働く農家の人たちでした。はじめは子どもたちが鍬や鎌を持って出かけるのを不安げに見つめていた農家の人たちですが、あまりにも一生懸命働く様子を見て、ついに2〜3の農家から、うちの仕事を手伝ってほしいという要請がきたのです。

 毎日隣合わせで作業をしていた顔見知りでもあり、派遣先の農家にとけこむのに時間はかかりませんでした。しかも、学園で作業をする時よりもいちだんと働きぶりがよく、楽しそうなのです。地域の人たちとのふれあいが、仕事に大きな満足感を与えたのでしょう。

 困ったこともありました。作業に熱中しすぎてトイレに行きそびれ、田んぼの真ん中でウロウロする子や、お昼にみんなで食べるはずの大皿のおかずを一人で食べてしまった子もいます。それでも農家の人たちは手伝いを断わりませんでした。

 当時の田舎には、共同作業を終えたあと、各自が持ち寄った米で夕食を作って食べながら、お互いの労をねぎらう「御日待(おひまち)」という行事がありました。このときは学園の子どもたちも、いっしょに作業をした仲間として一人前の扱いをうけました。みんなこれが楽しみで、米を入れたビニール袋を持って、いそいそと公民館に出かけたものです。

 時が行き過ぎ、今ではこういった地域ぐるみの共同作業や行事もなくなりました。ちょっぴり淋しいことです。でも、このときをきっかけに地域の人の理解がぐんと深まり、あいさつや会話が自然にできるようになったのはうれしいことです。
 

通勤バスで芽生えた恋