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国鉄公安官だった松下忠男は、パトロール中に出会う列車やホームを寝ぐらにしている少年たちに心を痛めていました。繰り返し問題を起こす少年の中には知的障害をもつ者が多く、当時は彼らにふさわしい施設はありませんでした。「施設をつくらなければ少年たちを救えない」‥‥そう考えた忠男は、私財を投げうって岩崎学園を設立しました。1952年(昭和27年)の暮れのことでした。(写真は豊橋鉄道公安室での松下忠男)
 
忠男が学園の設立を決意したその日から、普通の主婦だった妻・和子の生活は一変しました。保母の資格をとるために、幼稚園にオルガンを習いに通い、自分の家族の暮らしを守るために、鉄道の仕事を続けていた忠男にかわって、自らが中心となって学園の子どもたちを育みました。
 
自宅4棟を教室と寄宿舎として使い、運動場は林を切り開いて田畑をならしてつくりました。はじめの定員は30人。知的障害のある子どもへの理解はまだ遠く、戦後の混乱期からさほど時を経ていなかったため、身寄りのない子どももいました。(この建物は明治38年に造られたものです。)
 
設立当時、知的障害のある子どもの就学義務はありませんでした。けれども学園では学習が必要だと考え、払い下げの旧兵舎を利用して学習施設を作りました。子どもたちも一緒になって牛車を引いて資材を運んだり、壁土を練ったりしたものです。
 

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